慣れすぎた自分が怖い
息子が発達障害であるということを自分は受容したみたいだ、というブログを以前書きました。
たまに冷や汗をかいたり、恥ずかしい思いをしたり、呆れたりしながらも、まぁそんなものだと納得するようになりました。
ちょっと変わってるけど人を傷つけるようなことはない、そんな感じの大人になってくれたらそれだけでいいです。
ただ、発達障害とか療育とかいうワードに抵抗感がなくなり過ぎて、幼稚園のお迎えママたちがうじゃうじゃいる中で、先生に「療育センターが〜就学相談が〜」と普通に話している自分がいて、ハッとしました。これはいけないと。
発達障害のことはオープンにしないことをマイルールにしてます。(幼稚園や学校には言いますが、保護者には言わない)
気づく人は気づいてるかもしれません。
でも、それはそれ。
こちらから一度言ってしまえば、二度と撤回はできないと思った方がいいと思うんです。
まず人の口に戸は立てられませんし
特に高機能の場合、前はこんな特性があったけど、数年後はこうなって、とても変わった。
となっても、あの子は発達障害、というラベルを剥がすことはできないと思います。
人が発達障害をどう捉えるか、その気持ちは変えることができませんし、私には世の中を啓蒙していく力もありませんし、自分の受容とは別の問題だと思っています。
周りに伝えるかは、本人に告知してから、本人が医師やカウンセラーと相談しながら決めてほしいと思っています。
それなのに!
軽々しく口にして、すっかり気が緩んでいました。
幼稚園は想像よりずっとマイルドなママ友付き合いで、私は甘やかされ、シビアさに欠けていたかもしれません。
心の奥底にあった
療育に行ってるから何?
うちの子知ってるでしょう、イケメンで、優しくて、賢くて(全部親バカフィルターですよ)、その事実は変わらないんだから。
…という根拠不明の自信、恐ろしいです。
甘くみてはいけない。
小学校に入ったら気を引き締めないと、と思いを新たにする夜です。(そこ?)