自閉スペクトラム症の友達関係
あきがまだ赤ちゃんの頃から、せっせと児童館などに通い、「同年代のお友達」と触れ合わせようと頑張っていました。
でも結論としては、本当の意味でお友達ができた、お友達と遊べるようになったのは6歳年長になってからでした。
それまでは、ひたすら、ただの平行遊びでした。
幼稚園で仲良しの子がいないことを、年中くらいまで気にしていましたが、療育の先生に「本人が困ってないならお友達いなくてもいいじゃないですか」と言われて「そう言われればそうかも」と単純に納得。
お友達が多い=いいこと、といういかにも定型発達っぽい価値観を捨てました。
5歳年中の頃も、一緒になってふざけてるような仲間がいましたが、それは今考えると「お友達」とは違った、並行遊びの延長だったんだなという感想です。
それが、6歳年長になって一人、あきが心を寄せる子が現れました。その子もあきを気に入ってくれているようです。
5歳のときと明らかに変わったと思ったのは
・「〇〇君がこうしてるから自分もこうしたい」という社会性の発達ようなもの(それが良いことであっても、しょうもないことであっても。他者から見た自分というものを意識するようになっている)
・お互いの家に遊びに行きたいと勝手に約束してくる(大人が間に入っていない、子どもだけで成り立っている関係)
・帰りに〇〇君を見つけると「バイバイ!明日はあれして遊ぼう!」と自ら挨拶をしに行ったり、〇〇君と同じ小学校に行きたいとポロポロ涙を流しながら言う(小学校は別々)など、愛着の深さを窺わせる
このあたりが、友達関係ですごく変化したなと感じるところです。
人と同調しないのがASDだと思ってたので、誰かと同じようにしたいとか、誰かと同じ学校がいいなんて言い出すとは、夢にも思っていませんでした。
年少くらいまでは本当にお友達と遊べず床に這いつくばったりしてましたから。
普通に比べたらゆっくりだけど、成長するもんですね。
まぁ、幼稚園では奇跡的に相性の良いお友達ができたけれど、それ以外ではなかなか仲良しにはなれない子ですし、変わり者なので、この先もお友達は少ないこと間違いないです。
でも…無理するくらいなら友達はできなくても良いのではと、結構本気で思ったりします。
なつ(4歳)を見ていると、社会性の高さを感じると同時に、ちょっとした息苦しさのようなものも感じます。
おやつをどれから食べるかもお友達と相談して、一緒の順番で一緒のタイミングで食べる。
時間がない朝に、お友達とお揃いの髪型にしたいと言い張る。
今のところ楽しそうではあるんですけど、、
この子は、この先の長い人生、ずーっとこうやってお友達関係に神経使って、空気を読んで生きていくんだろうなぁ。などと思ってしまいました。
それに比べて、あきの自由さ。
彼のマイペースさをちょっと羨ましく感じます。
もし小学校で1人でもお友達ができたらそれはうれしいけど、できなくても楽しめることをたくさん教えてあげたいなと思う最近です。